草叢の上のティータイム

なおみーんのあれやこれやを書いていきます。

子育てのこと

 二人の子供がいます。上は大学生、下は高校生。

 上の息子は発達障害があって、小、中学、高校と、先生をはじめ、周りの方のご協力や、ご理解をを得て学校生活を送っていました。今は配慮もいらず過ごせています。

 一見、普通の子と変わらないのですが、小さなときはコミュ二ケーションがなかなか取れませんでした。言葉はぺらぺらしゃべるし文章も読める、でも、こちらの意図してることがなかなか伝わらない。最初この子はあまのじゃくな子だと、思っていました。ダメ!といったことばかりするのですから…。後になって、発達障害だった事を知り、この子はダメといっている言葉の意味(どの程度ダメかというニュアンス、こちらの意図、場の空気)、を組むことができなかったんだとわかりました。保育園でも全く言うことを聞かないので小さな怪獣みたいと、先生に言われる程。赤ちゃんの時から、とにかく私が傍にいないと大きな声で泣き出すし、なかなか寝ないし、家の中にいると、パニックになったり癇癪をおこしたりすることも多く、私自身もストレスになるので、よく外へ出て散歩をしました。本人も山を歩いたり川や鳥が好きで野生児のようでした。そういう意味では、田舎暮らしで良かったと思います。もし都会で暮らしていたら、私自身も精神的に相当きつかったと思います。

 

 それでも、保育園年長さんくらいからは、だんだんとコミュニケーションらしいコミュニケーションがとれるようになりました。その頃は私自身も発達障害について自分なりに勉強することで、息子の問題行動の理由がわかり、本人が一番困っているのだということが、ようやく理解できるようになっていました。初めての場所や行動が苦手な息子にも、言葉だけでなくイラストなどを通して示してあげると落ち着いてできたり、ちょっとした工夫で私自身も楽になりました。その後も、いろいろ問題はありましたが、とにかく普通に元気で生活してくれたらいい…多くは望まないから…普通で…と思っていました。(幸い息子は勉強が比較的できたのが救いで、でこぼこはあるけど、興味のあることは並外れて覚えが良かったりします。今でも勉強など殆どしてないのに共通テストで世界史97点とっちゃうくらいです。あ、これは自慢じゃなく息子の名誉のために書いてます😅、数学とかほかの教科は全然だめですけどね😅)

 

 そんな子が、今や大学生です。いまでも、ちょっとというか、だいぶ変わった子ではあるけど、それでも、昔の事を考えれば噓のようです。こんなに成長するんだよ…と不安を抱えていた昔の自分に教えてあげたいです。親としては心配はいくつになっても尽きませんが💦…運転免許までとれました。良かった(まだちょっと怖いけど💦)

 

 Twitterでも発達障害の子を持つ親御さんのツイートなどを見かけたりするたび、昔の自分を思い出したり、わかるわかるっていいね押したりしています。子供によって、いろいろパターンはあると思うけど、ずっと、そのままということはないし、その子なりに成長すると思うから、お母さんの心がぎゅっとなっているときは、相談できるところを探すとか、とにかく一人で抱え込まないようにって思います。お母さんだって、よしよししてもらいたいよね…。ほんとはね…。

 

 あ、あと障害のある子供に兄弟がいたら、そっちの子にも愛情をたっぷり注ぐことを忘れないようにって思います。頭ではわかっていても、どうしても手がかかる子にばかり目がいきがちなんですよね。小さな頃育てやすかった子は我慢してることがあるし、そのしわ寄せが、大きくなってから出てきたり…。私は娘が中学の頃から、また一緒にお風呂入ったりして、ゆっくり話を聞いたりする時間を持つようにしました。今でもたまに一緒に入ります。同性だと話も合うことが多いし楽しいです。

 

 

未だにバランスとるのは難しいですけど、自分の時間が取れるようになってからは、自分の人生をちゃんと歩むというか、自分の思いや、やりたいことも、なるべくないがしろにしないで生き始めてからのほうが、子育ての辛さも少なくなったような気がしています。

 旦那はなんだかんだ言って子供たちが小さい頃が幸せだったんじゃないかなどと言ってますが、私はもう嫌です(笑)やりたいことのできてる今のほうが全然いいです。

 子育ては絶対やったほうがいいとか、そんなこと言うつもりもないし、やれるならやっておけばという感じですけど、自分にとっては自分のしっかりした土台をつくるのにかかせない経験だったかなって思っています。私は機能不全の家庭で育ったせいか、若い頃ほんとに自分に自信がなかったし、基本的な自己肯定感というのが足りなかったのです。

 

 子育ては、きれいごとじゃなくて、子供を産んだら動物みたいに乳首からぴゅーっとおっぱいが出始めるし、子供のウ〇チやゲ〇も素手で受け止めちゃったりとか、なんかサバイバルみたいだけど、一つの生命を守って育てるため、とにかく必死で自分の体を張って愛を注いだという経験、子供からも全身全霊、必要とされ愛されたという感覚は、永遠ではないけど、純粋で、そういう確かな時間があったということは自分の誇りとして死ぬときに持っていけることだろうなと思っています。