草叢の上のティータイム

なおみーんのあれやこれやを書いていきます。

芸術の良さとか生意気に

こんにちは^^

 

先日、久々に投稿し、大様の耳はロバの耳的に(笑)もやもやの気持ちを吐き出したのですが自分的にはすっきりしたものの、ネガティブな内容は捉え方の違いによって読む方が気持ちのよくないものにもなりかねないな💦と思い消しました。

 

事実を書きましたが、プライベートのことなので、どうしてもオブラートに包む部分が出てくるし、なかなか全ての真実を伝えられません。相手の言葉は私にとってはモラハラと変わらなかったと思っていますが、所詮、個人的な痴話げんかの話です。どちらにしても、自分が同じ土俵に立つことは、自分にとってもよくないなと…

 

私自身は本来いろんな人間がいていいと思ってるし、それぞれがよっぽどの迷惑をかけない限り好きなことをして楽しめればいいんじゃないかと考えています。

 

創作に関しても、それを制作する内容についても、鑑賞するにしても、その選択はそれぞれの自由だと思います。その辺を誰かに押し付けられるのは私は嫌ですし、一人一人がその個性を認め合い、時に影響を与えたり、助け合い、自らの人生を紡いでいくというのがやっぱり理想です。人に期待しすぎないことですよね。

 

子供が小さいときは、もちろん生死にかかわることとか、人としてそれはだめだとか、社会に出たときときそれは通用しないというようなことに関しては、私も、それはもう頭ごなしにダメ出しすることはありました。もう子供も大きいですしそういうことは、もうほぼありません。たまに年に一回くらい大きな声でいい加減にしなさい!と怒ることもありますけど(笑)そんなこと以外では、なるべくなら、家族であれ他人であれその人の嗜好とか楽しみに土足で入り、踏みにじるようなことは私はしたくないです。

 

 

少し話は変わりますが、最近、高校生の娘から聞いた話で驚いたことがありました。小学校時、図工の時間に、先生に「パレットに出す絵の具の大きさは500円玉くらいの大きさの範囲で使い、他の絵の具の色と混ざらないようにきれいに使いましょう」と言われたと言うのです。子供たちはみんな真面目に苦労しながらパレットを使っていたらしいのですが、(ちなみに娘は密かに反抗してぐちゃぐちゃにパレットを使ってたらしいです。あっぱれ(^_^;))、何か合理的な判断でそれが良いと思ったのかな?でもそんなことに注意を払いながらいちいち絵を描いていたら、面白いものも面白くなくなってしまいます。個人的なアドバイスとしてならそれもありかもしれないとは思うけど、初めからそれはないよなあ…って思いました。

 

小学校の先生は専門外でも教えなければならないし、きっと、大変なのだと思います。中には良い先生もいらっしゃると思います。ただ、美術教育というのも、小さな頃からの積み重ねだと思うし、もう少し何とかならないのかなって思ってしまいます。美術館やギャラリーへ足を踏み入れることすら、興味のない人にとっては、敷居が高く感じるみたいですしね。ますます垣根が高くなってしまいます。

 

私自身も、小学校3年か4年のときだったと思うのですが、いまだに覚えてることがあって、たまに絵をかきながら思い出します。クラスみんなの絵が壁に貼ってあって、その絵一枚一枚について誰かが挙手して気づいたことを話すという図工の授業がありました。そのときのことです。私の描いたすべり台の階段が曲がってると言ってくれた子がいたのです。先生もそうですねとそれに同意しました。

 

確かに正確に描くということを正解と捉えると、曲がった階段は間違いになると思います。基本的な技術を磨き、精度を上げるということはそういうことかもしれない。

 

ただ私がそのとき内心感じたことは(いいじゃんべつに!)ってことでした。授業中手を挙げて発表することすら苦手で自己主張なんてできない子だった私が、なんでそんな生意気なことを考えたのかよくわからないのですが💦なぜかそんなことを考えていたのです。

 

ただ昔の私が思ったことも、今では間違いではないように思うのです。芸術には、技術の良し悪しではなく、何かを表現し伝えるという側面があります。それを受け身ではなく自ら行うことが、老若男女問わず誰にでもできるということ、そういう芸術の基本的な良さというものがあると思うからです。まあ、小学生の自分がそんなことを考えてはいませんけどね、きっと(笑)

 

今、私がその場にいたら、その絵のおそらく要となる、幼き自分がきっと描きたかった、何か他のものに気づいてあげられるんじゃないかって思ったりします。空の雲かもしれない、木かもしれない、滑っている本人の姿かもしれない、その時の楽しかったという気持ちかもしれない、それはきっと絵に出ているはずです。

難しいかもしれないけど、目には見えない部分、技術とは違った部分の芸術の良さをもっとわかりやすく伝えることができたらいいのにな…。

 

技術を磨くことがより表現の幅を広げることもわかってるつもりですが、それだけに偏りすぎず、いいも悪いも、きれい汚いも、暗い明るいも、割り切れないような、言葉には出しきれない個人個人の感情、それを大切に扱い、拾い上げ泥を落とし磨いて表現していく創作物は、人類共通の普遍性へと繋がることがあるし、そのように昇華されているものを芸術と呼ぶんじゃないかと私は勝手に思っています。

 

自分の創作が、そういうものにいつか近づいていけたらいいなとか、相変わらず生意気に考えたりしています。